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親の介護 本人の意思確認ができない終末治療      アルツハイマーの母から学んだこと その二十四

痛み、苦しみがわかっていることを前提に治療

母が中心静脈栄養になり、医師からおそらく状態は今より良くなる可能性はまずなく胃ろうに戻ることも無理だろうことが告げられました。また本人には痛み、苦しみなどの感覚があるかないか判断できないが、今もそれがあることを前提に治療をすすめていくとの説明がありました。さらに今回の措置が治療として最終的なものになることの確認があり、同意しました。

どこまでの治療を望むのか?

認知症と母が診断され入院に至るまでもそうですが、入院後の治療いわゆる『終末治療』といわれるもので私自身いろいろな判断、決断をしてきました。『自然死』『延命措置』などの言葉はよく耳にしていましたが、私には母が入院するまでは知識もなく自分なりの明確な考えも持っていませんでした。今でも「自分の場合、どこまでの治療を望むか」ははっきりとした答えは持っていません。母の胃ろう、中心静脈栄養は医師の話を聞き、家族等と相談し決めてきました。母の場合、胃ろうなどの経管栄養をしなくとも、また中心静脈栄養をしなくとも法的に問題になるわけではありません。それをしない選択もできました。
ひと頃「どうして『母の命の線引き』を自分がしなくてはならないのか」と思ったことがありました。今はそれが私の間違えだったと思います。『線引き』『幕引き』などの表現は、私が母の命に対し不遜であり不謹慎だったと思います。『命の尊厳』と軽々しく言ってきたことが恥ずかしいです。

家族での事前の話し合い

終末治療を考える時、何より本人の意思が重要だと思うのですが、私の母のように認知症の人の場合、発症後に本人の確認をとるのがほとんどできないことが問題になるのではないでしょうか。本人の意思がわからないことで、ただでさえも一貫性のない優柔不断な私は大いに混乱することになりました。母が今までの治療を望んでいたのか、今の治療に苦しみや辛さを感じているのか、また辛いと思っていた場合、その辛さから開放されることを望むのかなど確認のしようもありません。元気なうちにある程度、終末治療の話をしておけば良かったと思うのです。

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