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親の介護 すべて理解できていると信じ話しかけ      アルツハイマーの母から学んだこと その二十五

母は今、何を感じているのか?

アルツハイマーの母に私から声をかければ、その方向に目を向け視線を合わせようとしますが、それに対し母から声を出すことはありません。体を自らの意思で動かすこともありません。硬直がすすまないよう介護の方が日に何度か体位を変えてくれています。これが今の母の状態です。
注射針を刺す時に痛みを感じているのか、背中が痒いと思うことがあるのか、暑さ寒さを感じているのか、私がかける言葉が理解されているのか、今の状態を母自身はどう思っているのかなど知る術がありません。感覚や感情がどの程度あるのかわかりません。そう思いながらも月に何度かは母の見舞いに行き、話しかけ続けています。

声をかけ続けること

母が言葉を発することがなくなり、私の話の内容にも反応しなくなって既に10年ほどが経っています。そうなってからもそれまで通りに、天気の話をしたり、体調を訊いたりなど話しかけました。おそらく声は音として耳に入っているが意味はわかっていないだろうなと思いながらも語り続けました。それは義務的で、儀礼的なもので、私にとっての気休めのようでもありました。今思えばとても恥ずかしいことですが、一時期『無駄な独り言』と思ったことさえありました。
それがいつ頃からか「母はわかっているかもしれない」と思い語りかけるようになりました。なぜそうなったか、明確なきっかけがあったわけではありませんが、おそらく病院の医師、看護師、介護師の皆さんの対応から私が教えられたような気がします。スタッフの皆さんが認知症のすべての患者さんたちに『普通の人』として接している一貫した姿勢に学ばせてもらったと思います。

言葉は発せないけどすべて理解できるという気持ちで

今年に入り中心静脈栄養の措置に移る際、医師から「痛み、喜び、苦しみ、悲しみなどの感覚や感情が機能していることを前提に治療をします」と言われました。私はその言葉に聞きうれしく思いました。スタッフの方の対応を見ていればこれまでもそのとおり実践されているとわかりますが、私には響く言葉でした。
母からは言葉がないだけで、すべての感覚、感情はあるのだと思い接することが、母にとっても、また見守る私にとっても大切なことなのだ思うようになりました。寝たきりで意思疎通ができない状態の母の『看取り』をどういう気持ちでするのか、自らの人間性を問われているようにも思うのです。

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