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【連載もの】介護制度について考える 第14回

困難な点眼薬  愛知大学 地域政務学部 教授 西村正広氏

 

 

 

相互老老介護

自分自身が支援を必要とする身でありながら母は父の世話を続けていました。文字通りの老老介護です。ただ父も一方的に世話を受けるだけでなく、それなりに母を手助けしていました。周囲から心配されながらもクルマを運転して母を病院や買い物に連れて行くのは父の役割でした。腕が不自由な母のために洗濯物を物干しに掛けるのも父でした。電気製品や家具のちょっとした修繕も、平成二十四年の夏ころまでは何とか父がやっていました。いわば相互老老介護。夫婦で互いに支え合い、それをホームヘルパーや訪問看護、ご近所や親族で周りから補助していました。
でも「支え合い」は、見方を変えれば「もたれ合い」です。どちらかが折れてしまうともう片方も倒れてしまう。そんな危うさを感じながら私は名古屋から両親を見守っていました。

 

眼の手術?

平成二十四年の初夏、母から私に電話がありました。父が重い眼病になって失明するかもしれない、来週にも眼科手術をするとのこと。母は動揺していて電話での話は要領を得ません。また新しい問題発生のようですが母から正確な話を聞くのは困難でした。私は父が受診した眼科の名称だけ聞いて電話を切りました。そして眼科に電話して担当医師の説明を聞きました。医師によると父は目の痛みを訴えて受診したそうです。痛みは目の小さな傷のせいで軽症だったのですが、検査をした際に緑内障の兆候が見られたそうです。それで来週にも大学病院で精密検査を受けるよう母に伝えたとのこと。場合によっては失明の可能性もあるし手術が必要なこともあると言ったそうですが、それが母にとっては「来週大学病院で手術!」と聞こえたようです。
高齢で理解力や判断力に乏しい母は、医師から「失明」「大学病院」「手術」などの言葉が出たので驚いて事態を正確に把握できなかったのは無理からぬことでしょう。

 

点眼薬開始

次の週、私は父を大学病院に連れて行くため仕事をやりくりして札幌に出かけました。大学病院の受診は高齢者にとって高いハードルです。迷路のような院内で窓口を探したり慣れない手続きや機械の操作や書類の記入などが必要なので一人ではたいへんです。私が父と出かけた大学病院でも、総合受付から眼科受付、あっちで検査、こっちで検査、やがて眼科医が2~3分診察、そして機関銃のような早口の説明を聞き、処方せんを手渡され、自動支払機で診療費を払って、と、ベルトコンベアに乗っているような半日を過ごしました。結局、父の眼は緑内障の初期で、すぐ手術する必要はなく、まず点眼薬で治療しましょうとのことでした。
さいわい軽い症状でしたが、父は自分で点眼薬をさすことができないため点眼も母の仕事になってしまいました。出された点眼薬は四種類。しかもそれぞれ用法が違います。A薬は朝と就寝時で左目だけ、B薬は朝昼夕で両目。C薬は朝に左目、D薬は朝と夕で左目、しかも一本さしたら次をさすまで十五分あけるといった具合。母のために朝昼夕就寝時それぞれの点眼薬のさし方を紙に書いて渡しましたが、集中力の要る点眼薬を毎回違ったパターンでさすのは大変なことでした。 残念ながらホームヘルパーや訪問看護などの居宅介護サービスには毎日四回もの点眼をお願いすることは出来ません。母がやるしかありませんでした。

点眼薬を開始して数週間後、ストレスのせいか、しばらく落ち着いていた母の血圧や血糖値が乱れ始めました。

 

 

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西村正広氏略歴:日本福祉大学大学院修了
社会保険中京病院
ソーシャルワーカーなどを経て現職
専門:社会保障

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