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【輝く人】第10回・高橋英昭さん(68歳)・高橋哲也さん(39歳)親子(平成25年夏号掲載)

ワライフ夏号【輝く人】高橋さん親子の写真第10回・高橋英昭さん(68歳)・高橋哲也さん(39歳)親子

ティージー株式会社の新社屋の写真

 

 

昭 和21年に八町通5丁目で建築板ガラスの販売をスタートした『高橋硝子店』。事業拡大に伴い社名を『ティージー株式会社』と改め牛川通に社を移し、昨年新 社屋に移転したばかりです(同地域内)。社会のニーズの変化に合わせて取り扱う商品を増やし、新分野に着手してゆく一方で、変わらないのは「地域に貢献し たい」という気持ち。息子さんに代を譲り会長職となった高橋英昭さんと、現社長・高橋哲也さんにお話を伺うことができました。

— まず会長さんからお話を聞かせていただきたいのですが、創業時は八町通5丁目の方で店を構えられていたそうですが。
創業は初代の時代で、私(二代目)はまだ幼くてあまり覚えていないんですが…私は大学卒業後、稼業を継いだという形ですが、もう46年になります。創業者 は板ガラスの販売をしておりまして、当時は(建築用ガラスでは)それが主流でした。まだ車があまり普及していない時代で、自転車や横付け自転車(サイド カー付き自転車)を使って運んでいました。当時は木製建具用板ガラスでしたから、今ほどサイズは大きくなく、自転車で充分運べたんです。現場で寸法に合わ せて切断したりして、当時の商売は今に比べるとのんびりしていましたね(笑)。

会長の英昭さん

— 古き良き時代、といった感じですか?
そうですね、昔はそれで家族全員養えたもんです(笑)。今のように同業者も沢山いなかったので、競争も激しくなかったですしね。

— 会長さんが入社された当時はいかがでしたか?
私は昭和42年に入社したのですが、その当時は住宅の建具が木製からアルミサッシに代わる黎明期でしたので、「これからは木ではなくアルミサッシの時代だ」という信念をもって営業に励みました。それで爆発的に販売量が増えたんです。

— ちょうどその頃は個人・集合住宅とも建築ラッシュの時代ですよね。
(需要が多すぎて)全てのものが不足の時代でした。いわゆる高度成長時代の入り口でしたから。

— 八町通から牛川通に移られたのは?
昭和50年です。モータリゼーションの発達で、駐車場確保と商品在庫が増えることにより大きな倉庫が必要になったことが理由でした。昔はトラックなどを路 上に止めているのが普通だったんですが、これからはお客様や従業員の車、トラックなどの社用車を駐車するスペースが絶対必要だと思ったからです。三菱レー ヨンが誘致された関係で、その当時からこの辺りは、今と変わらないような整備された街並みが形成されていました。

— ティージー株式会社に社名変更したのは、移転と同時ですか?
いえ、それは平成2年のことです。いよいよ昭和が終わり、新しい年号を迎えたところで大きな変化を予感した、私の提案で社名変更しました。これからはアル ミサッシやガラスだけじゃなく、建材商品すべてにわたって拡販できるように、高橋のTと硝子店のG、それぞれの頭文字をとって“ティージー”とカタカナ名 にしました。

— ここで少し、プライベートな話を…子供の頃はどんな御子さんでしたか?
おとなしいまじめな子でした(笑)。住み込みの従業員がおりましたので、特に家業を手伝うということもありませんでしたね。大学は明治の商学部に入ったん ですが、いろんなアルバイトをしました。そしてゼミに入ったりして友好を深めました。卒業したら家業を継ぐことは決まっていたので、勉強には熱が入らず、 色々なアルバイトに明け暮れましたね(笑)。

— 若いころに感銘を受けた人や出来事などありましたか?
それはやっぱり豊城中学校の校長先生です。時習館にも立派な先生がたくさんいましたし、そういう人たちから受けた影響は今でもあると思います。特に当時の 豊城中学校の校長先生は非常に熱心で、校長室に生徒一人一人をよんで個人面談をしたり、その時に人生訓を短冊に筆で書いて渡してくれたりしました。その校 長先生はお寺の住職を兼務されていたのですが、とても印象に残っています。同級生みんなが「あの校長先生はすごいなあ」と言っているくらいですから。

— 若い時代に良い指導者に巡り合えるのはとても幸運なことですね。では最後に、息子さんである現社長に期待することは?
一番期待していることは、やっぱり、この地域で必要とされる会社であり続けることですね。

— ありがとうございました。それではここで現社長の高橋哲也さんにバトンタッチしたいと思います。
宜しくお願いいたします。

社長の哲也さん

— 社長は就任されて何年目になりますか?
もうすぐ1年になります。大学を卒業してから企業に就職し、愛知県内で住宅の営業をやりました。それから大阪でガラス工事の修行を終えたあと社に戻って11年目になります。

— 先ほど伺ったとおり、ティージー株式会社は時代の流れに合わせて取り扱う商品を増やしてきていますが…
ええ、今は太陽光発電と窓のリフォームに一番力を入れています。太陽光発電は2002年にシャープと特約店契約を結びまして発売を開始しましたが、その頃 はごく一部の人しか購入しない商品だったんです。国から補助金がかなりたくさん出ていたんですけれども価格も高く、なかなか普及が進みませんでした。その 後徐々に売れ始めたんですが途中、補助金が打ち切られた時期が2年間あって苦戦しました。それも乗り越えて今は順調な売れ行きです。

— では太陽光発電が一番の主力商品ですか?
いえ、主力はあくまで建築ガラスとアルミサッシです。ただ、太陽光発電事業もそれに匹敵するほどさらに伸ばしていきたいですね。

— セキュリティシステムも扱っている?
そうです。しかしこちらはまだ波に乗ってはいません。防犯ガラスやフィルムは売れているものの、まだまだこの辺りは都心部に比べて防犯意識が高くないのか…それだけの理由じゃないと思いますので、我々の努力不足だと思います。

— ご家族のことをお聞きしても…?
はい、妻と子供が2人います。休みには子供たちと公園へ行って遊んだり、バーベキューをして楽しんでいます。最近、幼稚園(年長)の娘が自転車に乗れるようになったことが嬉しかったですね。

— 学生時代は、どうでしたか?
大学のころはサークルを作って仲間と一緒に遊んでいましたね。バーベキューや、キャンプ、スキーとか…。とにかくサークルという名を使って遊んでいました(笑)。

— 今現在社員が31名いらっしゃるということで、若い社長さんが引っ張ってゆくのはなかなか大変だと思いますが、ご自分が考える会社の未来像はどういったものでしょう?
そうですね、人口減少が進みこれから新築の需要が減ることに伴って市場が縮小し、同業他社との競合厳しい中で勝ち残ってゆくためには、新しいものを取り入 れながら、常に変化しながら進んで行くことが大切だと考えています。あとは地域貢献ですね。それと社会貢献活動にも力を入れていきます。地域から必要とさ れる会社となることで、地域とともに会社を発展させていければと思っています。

— では最後に、突然ですが、一週間お休みがとれるとしたら?
家族で旅行に行って、仕事のことは忘れて、ゆっくりしたいですね。リゾート気分を味わいたいです(笑)。そんなことができるのは、引退してからですかね。

— 本日はどうもありがとうございました。

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プロフィール
高橋 英昭さん
1944年12月生
1967年 大学を卒業し、高橋硝子店へ入社
1975年 八町通から牛川通に会社移転
1986年 代表取締役に就任
1990年 社名をティージー㈱へ変更
2012年 会長に就任

高橋 哲也さん
1974年1月22日生
1992年 豊丘高校卒
2002年 大学卒業後、6年間の修行を経てティージーへ入社
2012年 牛川通2丁目から牛川通3丁目へ会社移転。代表取締役に就任
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