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親の介護 アルツハイマーの母から学んだこと その十七

親の介護 アルツハイマーの母から学んだこと その十七

「どこまでの治療を望むのか」

母の胃ろうのあと「どこまでの治療を望むのか」は、私にとって「どこまで生かしてほしいのか」と同義の問いかけとそのころ感じていました。それは9年近くも前のことですが、当時の私の感覚は命を弄ぶような不遜なとらえ方だったと思うようになりました。そう思うようになったのはつい最近でした。

認知症の診断から6年で胃ろうへ

洗剤などまだあるのに理由もなく数え切れないほど買い置きしたり、同じ話ばかりするようになったりなどの『異常な行動』がはじまり、専門医の診察を受けアルツハイマーと診断されたのが15年くらい前。それから胃ろうに至るまで6年程しかありませんが、その間もいろいろな悩み、決断がありました。母の『異常な行動』への対応、専門医に巡り会うまでの奔走、家庭での対応も限界と判断して入院、見舞いの際の母に『家に帰りたい』と言われた時の切なさなど、ときどきに様々な出来事、決断がありまた。

「胃ろうのあと」を考える

しかし『胃ろうのあとをどうするか』の判断は今までとはまったく次元の異なることです。「延命治療」「尊厳死」といった直接『命』にかかわる問題で、個々人によって考え方は違います。家庭環境、生育暦、培われてきた価値観・倫理観、時代の移り変わり、医療技術等の進歩、本人の状態などなど多くの要素があり、どれが正しいのか、決して答えはひとつではないことはわかっていながらあれこれ考える日々でした。自らのことばかりでなく、親、配偶者などのことで考えねばならなくなる可能性のある、多くの人に共通する課題だと思います。

「どこまでが命?」

時に「どうして私が母の生と死の境界線を判断しなければならないのか」という投げやりな気持ちになることもありました。そんな時は「身内だからこそ、血のつながった親子だから考えねばならぬこと」と自分を納得させました。私にとって「どこまでが命?」はその後しばらく継続して自問するテーマとなりました。

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