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親の介護 アルツハイマーの母から学んだこと その十八

親の介護 アルツハイマーの母から学んだこと その十八

「胃ろうの後の治療をどうするか」なかなか答えの出ない課題

「母が胃ろうができなくなった後の治療をどうするか、それ以上望むのか否か」で悩む日々はそう長くは続きませんでした。担当医から「胃ろう後のことを考えておいてください」と言われしばらくは重い課題に逡巡していましたが、もともといろいろなことが継続できない性格の私は、だんだん考えるのにも疲れ、やがて「その時になったら考えればいい、実際にそうなった時に自分がどういう気持ちなるかで決めればいい」と開き直りのような状態になっていました。そう思うと気持ちも楽になりました。

「ただ顔が見たい」母への見舞い

胃ろうになり、会話もできず、人の識別も定かでない状態になりましたが、月に2,3回は見舞いに行きます。それが少ないのか多いのかはわかりません。また母は誰だかわからないのに見舞いに行く意味があるかどうかもわかりません。自己満足かもしれません。「子どもだからと」と義務感のようにも思っていましたが、ある時、人から「そんなに行かなくてもいいのでは」と言われたことがありました。「そうか」と頷きながらも変わらぬペースで通っていました。「なぜか」と自問しても「私が会いたいから、わずかでも顔を見たいから」という答えしか見つかりません。

私にとって母が生きていることの意味

ただ顔を見て、私から一方的に話しかけるだけの見舞いが続きました。その間も母の思い出が浮かんでくることがよくあり、ある時ふと「母は私の心の中でずっと支えになってくれている」と自覚できました。そう思えてから私なりの考えが固まってきました。
私にとって母の存在そのものが大きく、寝たきりになり話すこともできず誰なのかもわからなくなった今も、この先、仮に『植物人間』と言われるような状態になっても存在そのものに意味がある、その命が続いているそのことに勇気づけられる、生き甲斐になるということが実感としてわかったのです。私にとってどういう状態でも母が生きてくれていること自体が支えなのです。
この時は母にとって今の気持ちはどうなのかということをまったく思い至りませんでしたが、私自身の一時期の迷い悩みは薄れていきました。

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