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西村なぎさのほんわか日暮らし 第13回

当たり前〟の幸せに言う「ありがとう」

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 普段から親しくしている友人たちがいます。友人の家で集う機会も多いのですが、私はいつも「仕事が忙しい」を理由に準備や片付けの手伝いができないことが多く、途中参加で1人先解散ということもしばしば。だんだん申し訳がなく、参加率も低くなり、「ごめんね~なんか悪くって参加しづらくなった」と話した私に、友人が言いました。参加しづらいと勝手に思っているのは、あんただと。みんな、忙しいのも知ってるし、心配してる。やってくれている意識がいつしか〝当たり前〟に変わっているから〝参加できなくてごめんね〟になる。「ありがとう」って感謝して途中からでも参加すればいい。言われた時は正直よく理解ができなかったけれど、確かに日々の事、常の事に感謝していない。「参加できなくてごめんね。」は随分と上から目線で、誘ってくれることが当たり前になっている。けれど「今回は参加できないけど、誘ってくれてありがとう!」ならとても気持ちがいい。
 この件で思い出したことがあります。
 以前、家族と食事をした時、父が母に鍋をよそうよう指示しました。
 しかし、両手はおろしたまま、器を差し出すわけでもない。「器ぐらい自分で渡したら?」と言った私に父は「他人ならな」の一言。もちろん「ありがとう」はなし。ずるずるとすする父を見て私は言葉がでませんでした。「他人です」。夫婦は他人です。「他人ならな」の言葉の中には見えない深い愛情があったかもしれません。でも伝わりません。「ありがとう」の言葉が加われば、あの時の食卓の空気がどんなに和んだことでしょう。ずるずるとすする音も〝汚らしい音〟ではなく「美味しそうに食べる音」になったと思います。
 当たり前にやってもらえることは実は本当に幸せなことです。当たり前の幸せは見失いがち。感謝の気持ちを伝え忘れてしまいます。だからこそ、努めて「ありがとう」という必要があるのだと感じました。
 私に足りなかった「感謝の気持ち」、気づかせてくれた友人に、ありがとう。
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